旧常磐炭砿KK砿員の縦断調査研究 1958〜
ホーム | ニュース | リンク集 | サイト内検索
炭砿労働者の閉山離職とキャリアの再結成合理化過程における切羽賃金形態の変貌-1

合理化過程における切羽賃金形態の変貌

合理化過程における切羽賃金形態の変貌
高橋赳夫

序 (抜粋)

武田良三

 
 世界的なエネルギー革命の潮流に押し流されながら、わが国の石炭産業が危機的様相を呈してきていることはいまさらいうまでもない。そのために昭和28年から昭和37年にいたるまで、じつに7回にわたって石炭合理化計画の樹てられたのは、わが国のエネルギー産業に関しての緊急性を物語っているにほかならない。ことに昨年(1962年)の石炭鉱業調査団の5カ月に渉る現地調査にもとづく、石炭鉱業の安定対策のための「答申大綱」は、これからのわが国の石炭産業のために、ひとつの決定的方向を示したものといってよいであろう。
  この調査が「炭砿と地域社会」と題して、常磐炭砿の社会とそれをめぐる旧湯本町および旧磐崎村を分析の対象としたのは、しかしこうした石炭産業および産炭地域の緊急対策を直接の問題とするのではない。間接的にはそれに資することがあるという確信を5年間の調査中もちつづけていたけれども、この調査の直接の問題点は題名通り、炭砿社会とそれをめぐる地域社会の社会学的な分析解剖に他ならないのである。それではなぜこうした問題をとり上げたのであろうか。
(一部省略)
  この産業と地域社会の関係の追求を、炭砿社会、とくに常磐炭砿とそれをめぐる地域社会に限定したことについては、ひとつの機縁があってのことである。偶々、わたしの講義に列した常磐炭砿会社からの依託学生(三浦、内田、岡部)は、いわば東道の役をとつめてくれた三君であったが、これら三君によってこの研究が導かれたということは、純客観的な学問的態度を保持するための、またとない機縁であったのである。すなわち、このために会社にもなじまず労組にも偏せず、終始第三者的立場によって、対象に迫る態度をもちつづけられたからである。それに加えて会社の諸賢のなみなみならない好意と、労組の諸氏の開放的態度、さらには常磐市当局の親切な教導とは、5年間の研究を苦労ながらともかくたのしく続けえた研究上の基盤であって、まずもってこのことを第一に感謝しないわけにはゆかない。
  さてこの研究の対象となった常磐炭砿(株式会社)は福島・茨城の両県にまたがる広大な常磐炭田地帯の全域と密接な関係をもっているが、今度の調査の対象としては、同社磐城砿業所管内および常磐市の湯本町部と散在する農村集落に限定したのである。内郷市も同砿業所の管内に属しているが、炭砿社会の正常な活動という観点からみれば同市はいわゆるゴースト・タウンに属するので、他の目的からは、いろいろ貴重豊富な社会的事実(たとえば非行少年や失業の問題)を擁しながらも、この研究からは除外する方が適当として、それにまで立ち入らなかった。もちろんいわゆる常磐五市(平・内郷・常磐・磐城・磐城・勿来)およびその周辺の町村は石炭産業の消長ときわめて密接な関係をもつ常磐地区を形成しているので、石炭産業の隆替はおのずからこの地域の繁栄と疲弊とに強く作用するという意味からも、研究対象の背後地として、たえず関心を寄せてきたし、常磐炭砿会社のいわゆる「東西開発」のオリエンテーションからしても、それは看すごすことのできない地域であるのである。
  ところでこのように対象を限定してみても、それに対して社会学的分析を進めてゆくためには、さらに細かな限定と分析がなされなければならない。したがってそれを大きく分けて、炭砿社会と地域社会の2つに分けてみたのである。もちろんこの両者は本論でも述べられているように、分離しながらも緊密にからみあっているものであるから、2つの社会をまったく隔離して述べるわけにはゆかないのであるけれども、分析の手続きからいって、一応ふたつの社会を区別してみることが便利である。

前のページ
目次-石炭産業における集団と地域社会
コンテンツのトップ 次のページ
合理化過程における切羽賃金形態の変貌-2