旧常磐炭砿KK砿員の縦断調査研究 1958〜
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炭砿労働者の閉山離職とキャリアの再結成常磐炭砿社会研究の発端と経緯-1

常磐炭砿社会研究の発端と経緯

常磐炭砿社会研究の発端と経緯

 
正岡寛司
 

早稲田大学社会学研究室は、昭和33年以来、常磐炭礦株式会社および常磐炭礦労働組合の協力をえて、『炭砿と地域社会』の研究に取り組み、5年の歳月をかけて昭和38年、『炭砿と地域社会』(研究代表者・武田良三教授、社会科学討究、第8、xxii・xxiii、早稲田大学社会科学研究所、昭和38年4月)を刊行した。常磐炭砿株式会社および常磐炭砿労働者と早稲田大学社会学研究室との交流は、そのとき以来すでに40年の時が経過している。

  しかしその間に、世界経済、したがってまた日本経済も大きくしかも激しい変換を遂げた。なかでもエネルギー革命の進展は劇的でさえあった。常磐炭砿、およびそこで働く労働者やその家族もエネルギー革命の巨大な波を、身をもって体験させられることになった。

  全国各地で大小の炭砿が相次いで閉山に追い込まれていったが、常磐炭砿磐城砿業所も昭和46年にいわゆる「大閉山」によって長い歴史を閉じることになった。早稲田大学社会学研究室が常磐炭砿の研究に取り組みはじめたのは、すぐ後で紹介する武田良三教授の「序」において明らかなように、エネルギー革命が押し寄せてきているさなか、企業および労働組合が可能なかぎりの企業内合理化を推進し、また政府の石炭保護政策のもとでなんとか生き延びるために悪戦苦闘を重ねていた時期であった。当時の早稲田大学社会学研究室は、そうした世界経済の巨大な転換を予感しながらも、しかしその課題を正面から受け止めるだけの理論的ならびに方法論的な装置を十分に持ち合わせてはいなかった。武田良三教授が述べているように、研究グループはそうした予感をもちつつ、しかしだからこそ「炭砿と地域社会」のモノグラフを精細に記述することに意を払ったのである。今になって考えるならば、当時、精細なモノグラフを作成しようとした武田良三教授の決断は、その直後に訪れた急激かつ巨大な経済的ならびに政治的な変動がもとより研究者の想像をはるかに超える激変であっただけに、なまじの予断をもって研究を偏向させるよりも賢明な選択というべきであった。

  常磐炭砿ならびに常磐炭砿労働組合は相次ぐ閉山によって、昭和61年に最終的に解散を余儀なくされた。企業も組合も時代の大きな流れにさまざまな思いを残しつつも一気に呑み込まれていったのだ。かくして、日本の資本主義化の過程で中心的な役割を果たした石炭業、そして常磐炭砿という企業や労働組合は歴史の1ページに閉じこめられてしまった。 しかし、石炭業での就労を生涯の仕事と決めていた労働者4千人強およびその家族は、廃業・閉山という国策に抵抗を示しながらも、全員解雇という現実を受け止め、生きていくために新たな生活の実現に向けて適応せざるを得なかった。いまふたたび、早稲田大学社会学研究室の有志は、歴史のひとつの断片を掘り起こし、閉山を経験した労働者の生活・人生の軌跡を再構成する課題に取り組むプロジェクトを起こした。こうした歴史の掘り起こしが可能であるのは、早稲田大学社会学研究室の諸先輩が昭和30年代に蓄積した貴重な資料の保存を行い、そしてその当時に作り上げた常磐の人たちとの友情を大切に維持してきたお陰である。われわれは諸先輩に感謝しながら、もう一度、あの石炭労働者たちの人生の激変とその後の長い生活過程の実像を浮かびあがらせたいと願っている。この研究が実り豊かな成果をあげうるとすれば、それは早稲田大学社会学研究室の過去に蓄積した資料と知見に負うところが大であるが、しかしさらにここで特筆すべきは、昭和46年に大閉山を断行した常磐炭砿磐城砿業所ならびに同労働組合が砿業所開設以来蓄積してきた各種の資料のほとんどすべてを、地元の福島大学経済学部に移管した冷静かつ先を見通した英断という事実があったからであり、また福島大学は委託された膨大な資料を大切に保存しつづけてきたことによっている。われわれの研究グループは、旧常磐炭砿株式会社の親会社である常磐興産株式会社ならびに福島大学地域経済研究センターの絶大なる支援のもとで既存資料の収集とデータベース化を実現しつつある。さらに、われわれはここ3年間、昭和46年に常磐炭砿を退職した労働者にお会いして、かなり長時間にわたる調査に協力をお願いしている。


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