旧常磐炭砿KK砿員の縦断調査研究 1958〜
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炭砿労働者の閉山離職とキャリアの再結成I 本研究の背景

I 本研究の背景

炭砿労働者の閉山離職とキャリアの再形成
The Discharge of Five-Thousands Coal Miners and
Their Life-Course Transitions

研究代表者 正岡寛司(文学教授)

I 本研究の背景

1.石炭砿業の歴史的背景
イギリス産業革命に端を発した世界の産業化は、まったく新しい形の生活を人びとにもたらした。すなわち、フォーマルな団体組織と形式的に自由な経済市場、そして膨大な人数の賃金労働者である。
炭砿産業は、鉄鋼業や造船業と共に、資本主義的産業化の初期段階から中期段階において基幹産業としての役割をはたした(19世紀から20世紀半ば)。
20世紀半ば以降、産業社会は急速に質的な転換をなし遂げ、その中心は採掘業や製造業から、サービス産業を経て、情報産業へと推移していった。さらに、生産から消費への基本軸の転換も発生している。現状ではすでに、生産システムと消費システムの境界線さえも不明瞭である。
わが国の石炭砿業は、とくに明治初期から昭和30年代まで、国策の手厚い保護のもとで活況を呈した。しかし炭砿労働者は地下労働という苛酷な条件のもとで厳しい労働を強いられ、また労働者家族はいわゆる「炭住」社会に閉じこめられた。炭砿社会を支配した社会時間は、石炭生産を中軸にして回る産業時間であった。
高度産業社会の加速的な変容は、世界的なエネルギー革命をもたらした。基幹エネルギーは固体燃料から液化燃料へと急速に転換した。
わが国政府は、国内産唯一のエネルギー源である石炭を、エネルギーの安全保障政策という立場から保護する政策を推進した。安価な外国産の燃料(石油・石炭)の大量 輸入によって国内の石炭産業は、放置すればほどなく終末を迎えることになったであろうが、わが国政府は石炭砿業のいっそうの合理化による延命策を図った。
国内石炭業の「スクラップ・アンド・ビルド」といわれた構造改革は、少数有望炭砿の徹底的な合理化・機械化を推進し、超近代的な石炭プラントの構築を目指す一方で、高額の公的閉山交付金を支給することによって多くの不良炭砿をスクラップ化していった。
石炭賦存状態の自然的な悪条件、人件費の高騰、経常収支の累積赤字の膨張、さらに、燃料としての石炭の非効率性や石炭による種々の公害発生など、山積する多くの障害が、最終的にわが国石炭砿業および企業経営を廃業へと追いつめていった。昭和30年代後半、石炭企業の閉山・倒産が相次ぐ事態となった。
昭和30年には、全国で大小合わせて668砿(常用労働者数=27.5万人)の炭砿企業が稼動していた。しかし昭和40年には261砿(11万人)に減じ、昭和45年にわずか96砿(5.2万人)に急落した。昭和40年代には、全国の主要炭田地域に「黒い失業地帯」が発生し、深刻な社会問題となった。
われわれの研究対象である常磐炭砿磐城砿業所は、膨大な資金を投入して炭砿の合理化を図ったにもかかわらず、ついに昭和46年4月29日、閉山のやむなきに至った。これによって、約5,000名の労働者が炭砿を追われ、山を降りることになった。
超近代的な石炭プラントとして建設された、たとえば、三井高島炭砿(九州)や北炭新夕張炭砿(北海道)も、20世紀を生き延びることができなかった。わが国石炭産業は、昭和40年代にほぼ歴史の檜舞台から姿を消したのである。
19世紀資本主義をその基底において支えてきた石炭砿業は、生産構造ならびに社会構造の変動過程において歴史的使命を終えたのである。この意味でも、わが国大手炭砿企業の1つであった常磐炭砿株式会社の膨大な文書資料のデータベース化およびその解析は、わが国石炭産業の終焉過程を解明するうえできわめて貴重な資料を提供している。

2 常磐炭砿研究の経緯
早稲田大学は、昭和30年、常磐炭砿株式会社とのあいだで、中堅砿員を委託生として受けいれる制度を設置し、以後、閉山時まで毎年数名ずつの学生を受けいれてきた(理工学部・政経学部・商学部)。
第一回委託学生のうち有志3名が、早稲田大学による常磐炭砿社会の調査を会社に申請し了承された。この提案を受けた早稲大学社会学研究室は、昭和33年夏季から現地調査を開始した(図1を参照のこと)。
早稲田大学社会学研究室は、故武田良三名誉教授を研究代表者として、「炭砿と地域社会」の研究を昭和33年に開始し、昭和38年に『炭砿と地域社会』(早稲田大学社会科学研究所)を刊行した。
早稲田大学社会学研究室は、昭和30年代末、常磐・郡山地区が新産業都市に指定されたことを受け、研究課題を炭砿社会から常磐地区のリージョナル研究へと拡張し、5市9ヵ町村が合併して作られた新「いわき市」を母集団とする大規模な地域社会調査を実施すると共に、産業・企業・労働・家族生活に関するインテンシンブな調査を数ヵ年にわたって継続した。
昭和42年、早稲田大学社会学研究室は、社会学専修学部生の教育指導の一貫として社会調査実習を、常磐炭砿の砿員を対象に実施した。この実習には一文および二文の社会学3年生160名が参加し、約1,000名の労働者から詳細なデータを収集した。
常磐炭砿磐城砿業所の閉鎖に際し、常磐炭砿株式会社は、企業ならびに職員・労働者に関するアーカイブ資料を、早稲田大学社会学研究室に寄贈した。これらの資料は、現在も社会学研究室で管理している。